娘に説教しました、褒め言葉で

娘に説教しました、褒め言葉で

娘に説教しました、褒め言葉で

6/15は父の日でしたね。僕は一男一女の父親です。

ありがたいことに娘は結婚していて、これまた一男一女に恵まれています(なので僕はおじいちゃんです)。

そんな娘から父の日に「ありがとう」というLINEメッセージをいただきました。

「わざわざ父の日にメッセージをくれる娘、我ながらなんていい子に育ったんだ~」と、だらしのない笑みを浮かべながらメッセージを読み進めると、

「むむっ、これは捨ててはおけない」というひと言が書いてありました。

「こ、この子は何てことを言うんだ・・・」

これが息子からのメッセージならその場でガツンとお説教じみた返信を即座に送り返すところですが、

そこは父親の弱いところ、娘には嫌われたくないものです( ノД`)

僕は子どものように口を尖らせてしばらく何て返信しようか悩みました。

その娘からのメッセージがこちらです。

***

「父の日、ありがとう!こんなどうしようもない私の味方でいてくれて感謝しています」

***

あなたは「娘から父親にあてた素敵なメッセージじゃない」って思いました?

娘の気持ちはとってもピュアで、そう思ってくれていることに僕の方こそ感謝感謝です。

でもでもでも、

「こんなどうしようもない私」と自分で言うのは良くない!

ぜったいよくなーい!!

もしかしたら謙遜だったのかもしれないし、自分を卑下することを一種の礼儀だと思っているのかもしれません。

特に、日本人は自分を卑下することで周りを持ち上げ、謙虚で慎ましく、目立たず縁の下で人知れず努力する姿を「美しい」とする文化があります。

自己犠牲=美学

という過激な思想を持つ方もいます(武士の切腹や戦時中の特攻隊のように)。

桜のように一瞬で散っていく刹那に美しさを感じる日本人の美的感覚は素晴らしいと思いますが、僕は自己犠牲については疑問を持っています。

ジェレミー・ベンサムという哲学者は、社会全体の幸福を最大化することが道徳的に正しいと主張しました。

しかし、この考えでは少数派の人たちの幸福が犠牲になる可能性が大きいのです。

絵空事だと笑われそうですが、僕はすべての個人が幸せになった結果、社会全体が幸せになる道をあきらめてはいけないと思います。

まず個人の幸せ、その次に社会全体の幸せです。

すべての人に、「まず自分が幸せになることを第一に考えてほしい」と思っています。

もちろん他者を傷つけたり奪ったりする悪行はナシですよ(ちなみにこのことについて語り始めるとキリがないのですが、自分の幸せを追求すると、まず他者を幸せにすることが先決だと気づきます)。

なので、

娘には「こんなどうしようもない私」と言ってほしくないんです。

こういった低い自己評価は、さらに自己肯定感を下げてしまいます。

口を尖らせながらしばらく悩んだ僕は、「こんなどうしようもない私」という言葉が掻き消されてしまうくらい、大量の褒め言葉を返信しました。

※恥ずかしいので内容は割愛します(笑)ざっくりお話すると、

あなた(娘)がもうすでに、どれほど素晴らしい母であり、どれほど献身的な妻であり、どれほど愛らしい娘であり、どれほど魅力的な女性であり、どれほど幸福にふさわしい優れた人間であるかを、「これでもか」というほど言葉にして送ったのです。

すると娘からこんなメッセージが返ってきました。

***

「お父さんにそう言われると、なんだかそう思えてきた」

***

よしよし、それでいいんだ、娘よ!

「最近あまり褒められてないなー」「さみしいなー」と感じたらご連絡ください。

僕が「これでもか」というくらい褒めちぎります(笑)

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