悲しみの果てに

悲しみの果てに

あるところに貧しいおばあさんが住んでいました。

昨年に亡くなったおじいさんが残してくれた畑を耕して食いつないできましたが、いよいよ食料が底を突きそうです。

そんなおばあさんのところに男がやってきました。

身なりはボロボロ、髪の毛は伸び放題、布切れから突き出した腕と足はまるで色のついた骨のようでした。

目に力はなく、頬がくぼんでこけてしまっている男はかすれた声でこう言いました。

「すみません、何日も食べておらず、何か恵んでいただけませんか?」

男はそのまま膝をついて崩れるようにその場に伏せてしまいました。

おばあさんには男が倒れてしまったのか、それとも土下座しているのか見分けがつきませんでしたが、

「どうぞ、中にお入りなさい」と男を招き入れました。

そして、わずかしか残されていない食料を男に与えてあげたのです。

男は泣いているのか礼を言っているのか「うー、うー」という異音を発しながら食べ物を自分の中に流し込みました。

さて、おばあさんは困ってしまいました。もう食べるものがありません。

すでに体力も落ちていたおばあさんは間もなく風邪をこじらせてしまい、寝込んでしまいました。

男は湿った布をおばあさんのおでこにのせてあげて、横に座って見守ることしかできません。

男の心配もむなしく、あっけなくおばあさんは夜明け前に息を引き取ってしまいました。

男はわんわんと泣きました。

「オレを助けたせいでおばあさんは食べるものがなくなり、身体を壊して死んでしまった」

男は毎日悲しみにおぼれ、無力な自分を責め、やがて心を病んでしまいました。

男はそれから何日も食べておらず、涙は枯れ果ててしまい、意識が朦朧とした夜明け前に、おばあさんのあとを追って自ら命を絶ってしまいました。

男の命を奪った原因は「悲しみ」でしょうか?「後悔」でしょうか?

実は、違いました。

おばあさんが息を引き取った瞬間、男の頭の中に「ある考え」がほんの一瞬だけ浮かんで消えたのです。

それは、、「食べ物がない」でした。

そしてそのことに男は気づいてしまったのです。

「オレはなんて欲深い人間なんだ!自分を救ってくれたおばあさんの死を悲しむ前に、食べ物のことを考えてしまった・・・」

男はそんな自分にショックを受けて、強烈な自己嫌悪に陥ったのです。

エゴにまみれた自分に気づき、自己嫌悪になり、生きることに罪悪感を抱いてしまったことが、男の心を破壊し、死に追いやった原因です。

僕にも同じ経験が何度かあります。

相手に対する思いやりや優しさよりも、ほんの一瞬だけ早く「エゴ」が脳内を駆け抜けていったことが・・・。

そしてそれに気づいた僕は自己嫌悪になります。

「きれいごとばかり言ってるくせに、こんな大切なときに結局最後は自分かよ。最低だな」と。

ただ言い訳ではありますが、これは動物の本能なんだとも思います。

宗教ではエゴは悪いもの、修行して清めて取り除くものとされます。

はたしてエゴは「悪」なのでしょうか?

エゴと理性の対立を超越した「在りたい自分」とは何か?

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