人は本来「利己」な生き物です。自分が生き残るために、安全安心を第一に考え、他の命を栄養として取り込み、子孫を残すことが本能として備わっています。
なぜ神様は人間をそのように創られたのでしょうか?(神様が人間を創ったかどうかは主題ではないので脇に置きますね)
これ、たぶん神様の宿題なんです。
きっと、人間を利己に創られたのは、利己ではないもの=利他を学ぶためだと思うんです。世界は全部逆にできていますからね☆
光を知るためには、闇を知らなければいけません。
では、利己の人間はどのように生きているのでしょう?
利己の人はギブ&テイク(ギバーズゲイン)で生きています。「私はこれだけテイクしたいから、このくらいギブします」というトレードオフ(ゼロサムゲーム)の世界です。
お金を払うから、商品サービスを受け取る。商品サービスを与えるから、お金を受け取る関係です。
なので、何かをギブしたのに何も得られないと怒りだします。「私がこれだけ提供したのに!何も返さないなんて!やって損したわ!」と。
一方、
利他の人(神様の宿題をクリアした人)はギブ&ギブで生きています。他人に何かを提供した時点で目的は完結しています。
「目の前の人に良くなってほしい」「人の役に立ちたい」「世界がもっと良くなりますように」というマインドと行動が利他の人のすべてなんですね。
先程「世界は逆にできている」と言いましたが、こういった利他の人は不思議と
人に恵まれ
運に恵まれ
富に恵まれ
幸せになります。
与えるだけで求めない人が、結果的に与えられます。
でも、とある神様は「求めよ、さらば与えられん」と言いました。どういうことでしょうか?
この言葉を聞いた人は「欲しいものを欲しがることは良いことだ」と思いがちですが、誤解です。
これは「神様を信じて(求めて)行動しなさい。そうすれば神様はあなたが願っている【善いこと】を叶えてくださいます。そして神様がそうするように、あなたも人が願っている【善いこと】を叶えてあげなさい」というメッセージです。
つまり見返りのないギブですね。
ギブと聞くと「何かスゴイことをしなければ」と思われるかもしれませんが、些細なことでも立派なギブです。
笑顔でいる
ありがとうと言う、
鳥に「かわいいね」と言う
花に「きれいだね」と言う
みんなギブです。
【人は救うことで救われる】
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