映画館で映画を見ているとき、僕たちは同時に「あるもの」を見続けています。そして見続けているのに、僕たちにはその「あるもの」が見えていません。
何だと思います?
正解はスクリーンです。もともとそこに在って、スクリーンが在るからこそ映像を映すことができます。スクリーンがあるからこそ、僕たちは映画を楽しむことができています。
なのに、僕たちは映画に没入するあまりスクリーンの存在に気づくことはありません。
そこで思うんです。
よく「人生は映画のようなもの。苦難があるから面白い」と言われますよね。
では、人生が映画だとしたら、スクリーンは何でしょうか?
スクリーンは映画をジャッジしません。名作であれ、駄作であれ、暴力的であれ、人間模様であれ、スクリーンはどのような映画であっても、すべてを受け止め、選り好みをすることなく、物語を映し出してくれます。
人生が映画なら、スクリーンは・・・
ある人はそれを神と呼び
ある人はそれを宇宙と呼び
ある人はそれを空(くう)と呼ぶ
例えば、それを「心」と呼ぶことはできないでしょうか?
スクリーンに黒い汚れが付いていると、僕たちが見ている映像にはずっと黒い汚れがついたままになってしまいます。
どんなに美しい景色を映したところで、スクリーンをきれいにしないと僕たちが見ている映像から黒い汚れは消えません。
同じように心が汚れていると、この世のすべてが汚れているように見えます。
アイツが悪い、運が悪い、時代が悪い、人生とはなんてヒドイものなんだろうって。
だから僕たちはスクリーンを常に真っ白にしておかなければ、人生という素晴らしい映画が台無しになってしまいますよね。
ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」という歌は、このような歌詞で始まります。
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緑の木々が見える
真っ赤なバラも見える
みんな僕たちのために咲いている
そのとき僕は思うんだ
この世界はなんて素晴らしいんだって。
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宇宙も地球も自然も僕たちも、ありのままで美しい。その美しい存在を美しいと感じられる人こそ、本当の「美人」なんだろうって思います。
あなたにはこの世界がどのように見えているでしょうか(^_-)-☆
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